2008年05月29日

演出家より その4〜演出の視点から

<夢幻能ととらえて上演させてください。>
 いつも夢幻能のイメージでとらえての上演です。死者は登場しませんが、ラストのイメージはまさに<成仏>とあいなります。


<フェイド・インの演劇>
俳優はすべてあらかじめ舞台のどこかに存在し、役を演じる場合はその役にフェイドインしてから演じられます。演じていることを演じていることとしてあらわにするというか、なにせ舞台は<リアル>なものではないし、<リアリズム>で装うものでもなく、<ドラマの本質>を築きあげるべきためのもので、それさえ舞台にあれば、ウソ臭い本当らしさは全くもって不要であります。<ドラマ>は<ドラマ>であって、<役者>は<役者>そのものでしかなく、<エンゲキ>は<エンゲキ>という表現手法を最大限に活用できてこそ<エンゲキ>といえるのではないでしょうか。独自な演技法もいつもどおりです。


<批評する側とされる側(劇評のことではない)>
 山吹の花のカタチには株により<正常な>花と<それとは異なる>花があるそうです。また<山吹色>の花と<白>い花という色の違いもあるのだそうです。本当でしょうか。<実を結ぶ>花と<実を結ばない>花とがあるのだそうです。これは本当です。山吹という植物はなぜだか知らないけど、そんな植物らしい。しかしみな山吹は山吹です。私には、異なるふたつのタイプが互いに批評しあっているというふうに感じられます。批評しあえない世界こそ暗黒で、その暗黒の世界の物語こそ泉鏡花作「山吹」だと思います。洋画家のいう<仕事>とは、芸術家の視点で世界を批評すること、それに違いないのです。
 そして私たちの劇場にも<世界>があって、演者と観客という異なる立場の者たちが互いに存在することで、<世界>をまるっきり信じ切り鵜呑みにするわけではなく、批評的な視点を求めあう。少なくとも私は求めます。私たちの生きて生活している社会が、どのようなものなのか、今何が起こっているのか、どうあるべきなのか、どうしてゆかなければならないのか、正しく社会に向ける目線の必要なことに気付かされ、考えること、つまりは<思想>を持つことの必要性を「山吹」という作品は突きつけます。

2007年11月 ♯45「夜叉ヶ池」より ラストシーン

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2008年05月27日

演出家より その3〜登場人物について

<洋画家 島津正>
 一貫して傍観者といえる。エロスのカタマリとなった縫子のアクションに対しても、終始距離をとりつづけ、さながら能のワキという存在だ。「山吹」もまた夢幻能ととらえることが可能かもしれない。
 今までの上演では失笑を買うと聞かされているラストのセリフも、画家が縫子と人形使の<女>と<男>の異様なカンケイ、<エロス>の発露を目の当たりにすることによって、芸術家として<ニンゲン>の、あるいは芸術の深遠というか、より本質的なものを獲得したうえでのセリフであるという着地のさせ方が必須であろう。鏡花氏の描きたかった思想にほかならないと考える。だから失笑されてはならない。

「うむ、魔界かな、此は、はてな、夢か、いや現実だ。―(夫人の駒下駄を視る)ええ、おれの身も、おれの名も棄てようか。(夫人の駒下駄を手にす。苦悶の色を顕しつつ)いや、仕事がある。(其の駒下駄を投棄つ。)」


<小糸川子爵夫人、縫子>
 もはや常人には計り知れない女性性をもつ。しかしこういう人物は鏡花氏の小説にはよく出演してます。例えば、「外科室」の貴船伯爵夫人。映画では吉永小百合が演じたことによって、なんか清純なイメージを植えつけられますが、実質的には(吉永小百合が演じたにもかかわらず)<エロス>に淫した狂人です。
 熱いマグマと燃えさかる洋画家に向けられた<エロス>も異常ですが、その爆発の裏には、社会における<女性>の悲劇が重要なエネルギー源となっているようです。発表誌が「女性改造」であるという事実も見逃せません。鏡花氏は発表誌を意識して作劇したのでしょうか。女性差別など今でいう<ジェンダー>についての芝居であるかのようです。


<人形使 辺栗藤次>
 またしても植物に由来する名前の持ち主です。鏡花氏の作品には、まことに多い。そしてその人物は、名の通りというか、<ニンゲン社会>とはある種隔絶した生き方をしているようです。現世と別な世界との媒介者としての役目を負っています。人形使は若い頃、女性たちを暴力で犯し、かつ殺しているようです。その後悔と贖罪のため静御前の人形に仕え、美しい女性にせっかんを受けることを強く欲している。人形使と縫子が結びつくことで、縫子は「世界の女にかはつて、私が其の怨を晴らしませう」という。これはもはや<エロス>による社会批評であると思います。ふたりの道行きのごとき退場のシーンの後には、鏡花氏の、特異な<エロス>へのとらえ方、すなわち彼独自の思想と、鋭い<社会批評>が巨大な姿をあらわすようです。


2007年11月 遊劇体♯45「夜叉ヶ池」より


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2008年05月19日

演出家より その2〜「山吹」上演にあたって

<はじめに>
 鏡花氏の戯曲上演も四作目をむかえました。なんか、このまま全戯曲の舞台化を知らず知らずのうちに成し遂げてしまいそうです。いや、その気になって全作品上演に挑戦してみようか、そんな気持ちが小さくではありますが、私の心の裡に芽生えつつあるようです。



<三人だけの世界>
 さて、「山吹」は登場人物21〜22人の芝居です。21〜22人と幅があるのは、鏡花氏が 村の人々、14〜15人と書いてあるからです。ですが、実質的には洋画家、縫子(子爵夫人)、人形使の3人で<世界>が成り立っています。



<小さなことからコツコツと>
 演出するにあたってのポイントとはならないかもしれないだろうけど、安易に見過ごせないようなことのメモです。ギモンとか気付いたことです。

•この芝居の山吹の花は、なぜ<山吹色>ではなく<白>なのか。
•この芝居の主人公は縫子ではなく洋画家かもしれない。
•「紅玉」と同一のテーマがまるで表裏のように奏されている。
•サドマゾ的性倒錯の芝居としてはわが国初だろう。だが、そうとらえると何かマチガイをおかしそうだ。
•人形使の人形が静御前である意味。
静御前が身ごもった義経の子を頼朝によって亡きものにされ(実ることなく)入水自殺したのは山吹の咲きほこる初春であり、亡骸として舞台に存在感を放つ腐った鯉、果実を実らすことのできない植物<山吹>のタイトル命名、ジェンダーとしての静と縫子の存在など、静御前の白拍子人形が暗示するものは少なくない。
以上の五点は、最近(4/29現在)気になっていることにすぎません。解釈や判断を要求されるようなことが多々有るのです。


つづく


2007年6月 遊劇体♯44「天守物語」より

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2008年05月12日

演出者より その1

『山吹』は、その地味なタイトルとは裏腹に、鏡花流シュールレアリスムの極致とでもいうべき戯曲で、『紅玉』とともに、上演には不向きだ、いや不可能だとさえ囁かれている。『夜叉ヶ池』、『天守物語』といった戯曲のもつエンターテイメント性とは、少し遠いところにある。官能と無残の美に彩られた煩悩があでやかに咲き乱れるなか、異様なエロティシズムを通して浮かびあがってくる〈世界〉の真相。緻密な構成ながら早急な展開で唖然とさせられるこの戯曲を、時代を超えた普遍的な〈世界〉の箱庭的抽象化と読みたい。そこに立ち上がる鏡花氏の思想を立体化するにあたって、戯曲の改変は一切行わない。それは、私たちに課せられた暗黙の約束事であり、先達へのリスペクトゆえである。少しでも、より豊かな舞台作品として世に問いたい。そう願い格闘するのみだ。


…遊劇体♯46「山吹」チラシより…


2002年12月上演 遊劇体♯36 泉鏡花「紅玉」より

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2008年04月25日

遊劇体♯46「山吹」公演詳細

遊劇体♯46 精華演劇祭vol.10 参加

山吹
作:泉鏡花 演出:キタモトマサヤ

日時 2008年6月26日(木)〜30日(月)
(受付開始は開演の40分前、開場は30分前です。)

26日(木)19:30
27日(金)19:30※
28日(土)14:00/19:00
29日(日)14:00/19:00
30日(月)19:00
※アフタートーク ゲスト…佐伯順子氏(同志社大学大学院教授)

会場  精華小劇場

地下鉄・御堂筋線/四つ橋線/千日前線「なんば」駅、
近鉄「難波」駅下車、11番出口を出て徒歩3分
※駐車場・駐輪場はありません。
お車、バイク、自転車でのご来場はご遠慮ください。


出演  
大熊ねこ 菊谷高広 坂本正巳 こやまあい 
村尾オサム 猪野明咲 キタモトマサヤ
条あけみ(あみゅーず・とらいあんぐる)小室千恵
鶴丸絵梨 吉田真季子(胡蝶花-chaga-) 戸川綾子


スタッフ 
〔舞台監督〕塚本修(CQ)[照明]西岡奈美[音響]大西博樹
〔舞台美術〕宮内ひろし[宣伝美術]古閑剛
[制作]A≠T〔制作協力〕尾崎雅久[企画製作]遊劇体
[助成]芸術文化振興基金
[主催]遊劇体/精華小劇場活用実行委員会/精華演劇祭実行委員会

料金  前売:2,500円 / 当日:2,800円
    学生:1,800円(当日受付にて学生証をご提示ください。)
*当日精算券をお持ちかご予約いただいたお客様は、
前売料金でご入場いただけます。


チケット予約は、こちらから
(協力 シバイエンジン)

↓QRコードで携帯電話からもご予約できます!

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「山吹」作品解説


山吹の花の、わけて白く咲きたる、小雨の葉の色も、ゆあみしたる美しき女の、眉あをき風情に似ずやとて、──────────




時────現代。
所────(第一場)修善寺温泉の裏路。
     (第二場)同、下田街道へ捷(ちか)路(みち)の山中。
人────島津正(四十五六)洋画家。
     縫子(二十五)小糸川子爵夫人、もと料理屋「ゆかり」の娘。
     辺栗藤次(六十九)門附の人形使。
候────四月下旬のはじめ、午後。




1923年「女性改造」に発表。初演は1980年、発表より57年、鏡花没後42年目にしての上演となった。
三島由紀夫と澁澤龍彦が絶賛した戯曲としても知られる。
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